Archive for November, 2006

アウトバックはどこから始まるの?

アウトバック Outback。それは、オーストラリアの内陸部に広がる砂漠を中心とする広大な人口希薄地帯を指す。オーストラリアの人口の90%は面積にして約5%の沿海地域に集中しており、内陸部地域の人口密度は1km²あたり1人以下である。しかし、ウルルを始めとする観光地が散在するほか、比較的気候が穏やかな地域では牧羊・養鶏が行われており、乾燥地域においてもラクダの飼育や鉄鉱石・石炭・ボーキサイト・ウラン・オパールなどを採掘する鉱業が盛んな地域もあり、オーストラリアの経済にとって看過できない重要な地域である。またオーストラリアの原住民であるアボリジニが伝統的な生活を維持している地域もある。(フリー百科事典『ウィキペディア)

2000年の旅でバスでアウトバックのほんの一部を通り抜けた我々にとっても、いつまで走っても景色が変わらないほど延々と続く赤茶けた大地(”Red Center”とも呼ばれる)は、シドニーのオペラハウスやハーバー・ブリッジなどよりずっと強烈に、最も「オーストラリアらしきもの」として印象に残っている。

9日の “Courier Mail” にこんな面白い記事が載っていた。

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アウトバックはどこから始まるのか? グレート・ディバイディング・レンジ the Great Dividing Range*1 を越えたどこかなのか、それとも海からある一定の距離を入ったところからなのか?

「アウトバック」はオーストラリアという国を定義する一つの言葉として役立ち、乾燥した奥地の大部分をカバーしているが、それが実際にどこから始まってどこで終るのかを理解するのはそう簡単ではない。

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“WELCOME to outback”…..
Charleville は、うちがアウトバックの入り口だと主張している町の一つ

アウトバックについての神話や想像の多くは1890年代に始まる。それは、オーストラリアがパターソン A.B. Paterson*2 、ヘンリー・ローソン Henry Lawson、マイルス・フランクリン Miles Franklin、アダム・リンゼー・ゴードン Adam Lindsay Gordon など、当時のメディア・キングと呼ばれる傑出した作家たちに恵まれた時代だった。
当時、アウトバックは今に比べればずっと近くて農場や有刺鉄線のある場所だったが、彼らはブッシュの中のオーストラリアの精神的な中心にいると言われてきた。
都会の読者たちは、彼らの描くロマンティックな場所や登場人物、冒険物語に魅了された。しかし、すべてのオーストラリア人がこれらの物語を楽しんだのではなかった。

クイーンズランド工科大学 QUT のビクター・ハート Victor Hart によれば、アウトバックの考え方は、ヨーロッパ人の探検家たちが遠く離れた場所に行き植民地を作ることから始まった。白人たちはアウトバックを無人の地と考えており、バルクとウィルスの遠征 “Burke and Wills expedition*3 は『発見』のための旅だった。その後、先住民のアボリジニたちが彼らの土地から追い払われるようになり、アウトバックは先住民に対する恐怖の観念に変わっていった。

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ここから先は何もないよ!

今はキャラバンの騒音が行き交い、白髪交じりの放浪者や若い人々がアウトバックを訪れている。彼らには、都会の制約や混雑とは対照的に、広い場所と自由が目に写るのだろう。

バーカルディン Barcaldine*4 の町長ロブ・チャンドラー Rob Chandler は、「アウトバックは我が町の広いメイン・ストリートから始まるんだ。もっと南東にあるマイルズやローマ、チンチラも自分の町が入り口だと言っているけどね。」と冗談めかして言う。
同様に、多くの町が “beyond the black stump”*5 の “Black stump” は自分の町だと主張している。
チャンドラー町長は、アウトバックはオーストラリア人の万物への情熱が始まる場所であって漠然としたものだろうと考える。「アウトバックにいるためには別にバードビル Birdsville*6 にいなければならないというわけではない。南東のボウデザート Beaudesert*7でも農家になれるんだから。アウトバックは奥地への魅力を感じればどこにでもある。それは地図の上のどこかというより心の問題だ。」

クイーンズランド大学のオーストラリア研究センターのデイビッド・カーター David Carter 教授は、「アウトバックがどこから始まるかを地図に描くのは論争をほじくるいい方法だ。かっては大雑把に農地が終わり田園が始まるところとだったのだろうが、今は多分ずっと西の方に移動してしまった」と話している。

一例として、パターソンの詩 “Man from Snowy River” に描かれた田舎が、今ではアウトバックだと思われることはほとんどない。そして多くの人は、スティーリー・ラッド Steele Rudd の古典的「ブッシュ・ストーリー」を生んだダーリン・ダウンズ Darling Downs も今やアウトバックではないと言う。

チャンドラーは、アウトバックの特徴はその方言と都会人と田舎人との違いだと考える。「ここでは通りを歩いているとき ‘G’day, how ya goin’?’ と声を掛け合うが、ブリスベンのウォーターフロントのエレベーターの中でこれをやられたらビックリしてしまうよ。」

クイーンズランド大学のグリーム・ターナー Graeme Turner 教授は、アウトバックは場所ではなく人間の関係の問題だと考える。「都会に住んでる人にとってはそんなに遠くない場所でもアウトバックだと思い、田舎に住んでいる人にとってはそれはもっとずっと遠いところにあるものだと思ってしまう。、その人がどこに住んでいるかによって、アウトバックはどんどん遠くなっていく。もし西部に住んでいる人なら、東のずっと遠いところということになるだろう。」

観光用のパンフレットには、アウトバックは特別な人々が住む特別な場所だと描かれている。観光ガイドは、あたかも他の場所はそう呼ぶには十分な程遠く離れたところではないよと言わんばかりに、自分たちの場所を「本当のアウトバック」と宣伝する。

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Coober Pedy の町

アウトバックの人々は、独特な風景が独特なキャラクターを作り出した南オーストラリア州のクーバー・ペディ Coober Pedy*8 の鉱夫たちのように一風変わっていて、ダイヤモンドの原石か硬い木の実のようなところがある。
ある人々は、アウトバックと聞いて馬に乗っている人を思い浮かべ、そこで生きるのは大変なところだと思ってしまった。この考えが若い人たちや4WD愛好家にアピールしたのだった。「乗馬は4WDの初期のバージョン」とカーター教授は言う。
チャンドラー町長は、「多くの都会からの観光客は、アドベンチャーを求めてバーカルディーにやってくる。うんざりさせられるのは、今じゃ「ミニ」ででも来れてしまうのに、4WDが買えるまでアウトバックに来るのを何年も待ったという話を聞くことだ。」と話す。
カーター教授は言う。「アウトバックはかって人里離れた辺鄙な場所と考えられていたが、人々は今そこへ巡礼の長旅をしなければらならないと感じている。」と。
しかしハート氏は、「アボリジニの人々の視野の中にはアウトバックなどという概念はない(もしそれが遠く離れた開かれていない土地という意味であったとしたら)。白人のオーストラリア人はしばしばそこで純潔のアボリジニが見つかると言うけれども、本来そこは彼らが生まれ育った固有の土地の一部に過ぎないのだから。」と語る。
アボリジニの人々は、「アウトバック」よりむしろ「淡水に住む人 freshwater」または「海水に住む人 saltwater」という言葉の方をよく使う。
ケープ・ヨーク Cape York*9 のホープヴェイル Hopevale 出身の「海水人」であるハート氏は、アボリジニの文化は「塩水人」、「海水人」とも自分たちが他よりも優れていると思っていることからくるユーモラスな地方色を持っている、と言う。
「もしアウトバックがあるとしたら、それは恐らく、海岸沿いの都会からある程度の物理的な距離をおいて(そこがその人に、都会をを離れたと感じさせるに十分な距離でありさえすれば……)、そこで何かをやることを言うのだろう。」

筆者注:

*1 the Great Dividing Range
クイーンズランド内陸部を南北に走る大山脈
*2 A.B. Paterson
かの有名な(そして私が大好きな) “Waltzing Matilda” を作詞した詩人
*3 Burke and Wills expedition
1860、61年に Burke と Wills が19名のメンバーを率いて行った探検の旅。南のメルボルンから北のカーペンタリア湾まで、距離にして約2800kmを踏破した。当時、オーストラリアは未だ全土が探検されておらず、ヨーロッパ移民には完全には知られていなかった。
*4 Barcaldine
クイーンズランド州のロックハンプトンから西に520km入った小さな町
*5 “beyond the black stump
オーストラリアのスラングで「人跡未踏の地」を意味する。
*6 Birdville
クイーンズランド州西部の小さな町。州都ブリスベンからは1600kmも離れている。
*7 Beaudesert
ブリスベンの南僅か64kmに位置する町
*8 Coober Pedy
アデレードの北約850キロにあるオパールの生産で有名な町。地下に作られた教会や、昼間は暑さで出来ないゴルフを光るボールを使って夜間に行うことなどで知られている。
*9 Cape York
クイーンズランド州の北部にある半島

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バナナは豊作なのに・・・

北部クイーンズランドに待ちに待ったバナナの収穫の時期がやってきたのに、その収穫を担う「もぎ手」の不足が心配されている。

オーストラリア・バナナ生産者協会によれば、3月に襲来したサイクロン・ラリー Larry で国中のほとんどのバナナが全滅してしまった後、多くの労働者たちが他の仕事を求めてよそに移っていったためだという。
「今はまだ危機的状況ではないが、クリスマスを迎える数週間前にはもっと酷いことになるだろう。」
協会は、北クイーンズランドのバナナ産業が、サイクロン前の総労働力の約半数に相当する1500人以上の労働者不足に見舞われると見積もっている。

2週間前に65ヘクタールのバナナ園で収穫を始めた生産者ロン・ポッピ Ron Poppi は既にこの問題に直面していて、通常25人以上のもぎ手を使っているのに、まだ3人しか確保できていない。「今でも、もう2、3人欲しいところだし、これから3週間はさらに5、6人は必要だ。」

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人手不足に頭を抱えるバナナ生産者のポッピ氏

ポッピ氏は、サイクロン・ラリーのカテゴリー5の強風によって前回の収穫はほぼ全滅だった。何ヶ月もの間供給と価格が正常に戻るのを待ってくれている消費者をがっかりさせることになるのではと心配し、「バナナはよく出来ている。しかし、その大部分がもぎ手がいないという理由で収穫できないんだ。」と嘆いている。

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世界最大のセックス・ショー

昨日(7日)の夜、グレート・バリア・リーフでは「地球上で最も偉大なセックス・ショー」が繰り広げられた。

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それは、サンゴの王国の無数の住民が一斉に迎えたオルガズムの瞬間。何秒かの間に生み出される無数のサンゴの卵とそれに時を合わせて放出される白く濁った精液。鮮やかに彩られた濃い雲のようにも見える。2億年もの間続けられている交配の儀式である。

繁殖期を迎えた、キャビアの卵のようにも見える何十億もの小さなサンゴの個体は、実は卵と精子の両方を持つ雌雄同体。この夜、グレート・バリア・リーフを形作っている半数(約150種類)のサンゴがこの儀式に参加した。

ポート・ダグラスの海洋生物学者ジェンナ・ラムニー Jenna Rumney は、「紙吹雪が舞う水の下のフェスティバルのようだ。水中に撒かれたたくさんの餌(サンゴの卵)を求めて魚は狂ったように泳ぎまわり、その魚をまた鮫が追いかける。まさに海洋生物は捕食と交配の世界だと実感する。」と話す。

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メルボルン・カップで日本馬が優勝

オーストラリア競馬のメルボルンカップ(3200メートル芝、G1)は7日、フレミントン競馬場で行われ、岩田康誠が騎乗した日本馬のデルタブルース DELTA Blues =角居勝彦厩舎=が優勝した。2着にも日本から参戦したポップロック Pop Rock が入った。
日本調教馬の海外G1制覇は15度目(12頭目)。2004年の菊花賞馬デルタブルースは最後の直線に入って先頭に立ち、ポップロックの激しい追い上げを振り切った。

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大接戦のゴール前(右がデルタブルース)

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手を上げて歓声に応える岩田康誠騎手
“Very happy, super horse.”と語った

4日の「市民権テスト」の記事でも紹介したとおり、メルボルンカップ Melbourne Cup は毎年11月の第一火曜日にオーストラリア・メルボルンのフレミントン競馬場の芝3200メートルで行われる重賞レース。G1に指定されているが、定量戦ではなくハンデキャップ競走である。
1861年のレース創設以来、145年間も続いている歴史あるレースであるとともに、現在のオセアニアでの最高賞金額の競走(2005年は、1着賞金300万オーストラリアドル=約2億6000万円)である。

また、毎年この競走の開催日は、メルボルン大都市圏ではメルボルンカップ・デーとして祝日となる。
競馬の競走のために祝日となるのは世界でもオーストラリアだけだろう。

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BrisVegas

ブリスベンに長く滞在していると、’BrisVegas’ という言葉を耳にしたり目にしたりすることがある。
‘BrisVegas’ は、ブリスベンの愛称で、ブリスベンの住民が自分の街を愛情を込めてこう呼んでいるようだ。
ちょっと気になって、その語源や由来を調べてみた。

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‘BrisVegas’ が何故、いつごろから Brisbane のニックネームとして使われるようになったのかにはいくつかの説があるらしいが、いずれもはっきりしない。
ブリスベンのずっと北のロックハンプトンの住人によれば、すべては1970年代に彼らが自分たちの街を ‘Rockvegas’ と呼んだことから始まった(’BrisVegas’ はその真似?)のだと言うし、ブリスベンの雑誌 ‘Time Off’ のスタッフは、1994年に出されたエルビス・プレスリーを讃えるCDがきっかけになったと主張する。

‘Macquarie Dictionary’ の編集責任者 David Blair は、「以前から会話の中では広く使われていたが、新聞 ‘Courier-Mail’ で ‘Brisvegas’ が最初に使われたのは1996年。以来この言葉は、色んなバリエーションで(ハイフンがあったりなかったり、1語だったり2語だったり、’V’ が大文字だっり小文字だったり)頻繁に使われるようになった。」と言っている。

大分前のことになるが、ブレア氏によれば、正直なところ ‘Brisvegas’ の本当の意味は定かではない(「皮肉」なのか、カジノをイメージしたものなのか、などなど)としながらも、’Macquarie Dictionary’ の第4版から掲載される予定、とのことであった。
‘Macquarie Dictionary’ は、オーストラリアでよく使われているオンライン辞書だが、有料制なので残念ながら掲載は確認できていない。

Viva BrisVegas!

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神は聞き届けてくれた?救いの大雨が!

11月2日に州の政治家や聖職者がブリスベンのセイント・ジョン大聖堂に集まって雨乞いの祈りを捧げたばかり。早くもその後利益が現れたのだろうか。

翌3日、乾ききったクイーンズランド州南部に救いの大雨が降り、ウォーウィック Warwick で1999年10月以来最大の日量雨量を記録するなど、いくつかの地域ではこの何年かで最高の降雨となった。
ウィブンホー Wivenhoe、ノース・パイン North Pine などのダムの集水区域にも激しい降雨があり、激減していた南東部の給水に安堵を与える貴重な雨となった。

州気象局は、「雨は一番必要としている所に降ってくれた。この大雨はいくつかの農家に幸せをもたらしてくれるでしょう。」と言い、州水資源局の責任者も、「干ばつを解消するほどではないが、3つのダムの集水区域で平均25mmの降雨があった。これから迎える夏に向かっていい兆候だと思う。」と語った。

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雨で出来た水溜りで天に感謝するToowoomba の
酪農家チェス・プリバーナウ Ches Priebbernow さん

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「大きく見せる」男性用下着が大ヒット

11月2日、ロイター通信はシドニー発のこんな記事を配信していた。

オーストラリアで「大きく見せる」男性用下着が発売され、大ヒットとなっている。
この下着は、オージーバム AssieBum 社が発売した「ワンダージョック WonderJock」。7日前に発売したばかりにもかかわらず、インターネットなどを中心に、5万枚が売れているという。

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上の写真をクリックすると「大きくなる」(笑)

同社はすでに「大きく見せる」をうたったブラジャー「ワンダーブラ」を発売しているが、男性用「ワンダージョック」は、オンラインで集まった顧客の声を取り入れて生まれた製品。同社のデザイナーは「大きいことがよいとは、これまで気がつかなかった」と話している。

オージーバム社のウェブサイト(日本語にも対応)をのぞいてみると、「アナタの愛国心をそそるブリーフ新登場![ワンダーカップ」の新技術が、あなたのオールコットン「パトリオット」ブリーフをさらに大きくみせます!注目度満点のこのブリーフでアナタもいい気分間違いなしです。」と謳っている。

お若い方、どうぞお試しあれ!

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Are you as Aussie as you think?

ハワード首相は、オーストラリアへの移民に市民権を与える前に英語力を含めた適性テストを行うことを決めた。
テストの詳細な内容はまだ発表されていないが、現在イギリスで実施されている同様のテストが基準になるものと考えられている。

“The Daily Telegraph” は、イギリスのテストの内容とオーストラリア移民局が移民に対して行っている “FAQ” frequently asked questions を参考に次の20問の問題を作成し、”Are you as Aussie as you think?” という見出しで掲載した。
「あなたは、自分が思っているほど『オージー』ですか?」
オーストラリア国民にとっては簡単な常識問題に見えるのだが、果たして何問正解することが出来るだろうか。

“Are you as ‘Loving Australia’ as you think?”
「あなたは、自分が思っているほど『オーストラリア大好き人間』ですか?」……と読み替えて挑戦していただきたい。

  1. オーストラリアの国花は?
  2. オーストラリアの国の紋章に描かれている動物は?
  3. 酒とタバコを買ってもいい最少年齢は?
  4. 何人のオーストラリア人が宗教を信じている?
  5. 一番大きな宗教団体は(大きい順にいくつか)?
  6. オーストラリアの人口は?
  7. 何人の人々が少数民族に属している? そして、一番大きな少数民族グループは?
  8. 一番大事なキリスト教のお祭りはなに? それはいつ? 他に、どんな祝日がある?
  9. オーストラリアの提督は誰?
  10. 「国を止めてしまう」ほどの競馬レースの名前は? それはいつ開催されるか?
  11. 最も偉大なクリケット選手の名前は?
  12. 「T3」で表示される道路標識はどんな意味?
  13. オーストラリアの最初の首相は? 彼はいつ選ばれたか?
  14. オーストラリアには3段階の政府がある。それは?
  15. 選挙権が与えられる条件は?
  16. BYOってどんな意味?
  17. オーストラリアでは女性の割礼は法的に認められているか? (たとえ、信じている宗教上の定めであったとしても)
  18. シートベルト着用は義務付けられているか?
  19. ニュー・サウス・ウェールズ州で、本人の承諾があれば性行為をしてもよい最低年齢は?
  20. 義務教育は何歳から何歳まで?

正解は、後ほどコメント欄に掲載する予定。

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両肺の移植に成功、喜びのケイト

「ケイト・バックハウスにとっては毎日が新鮮!」
今週のサンデー・メールにこんな明るい記事が載っていた。

嚢胞性繊維症という遺伝性の難病を患っていた25歳のケイト・バックハウス Kate Backhouse は、呼吸のために戦う毎日を過ごしてきた。しかし、両肺の移植手術を受けることができた今、彼女はエネルギーに溢れ、新しい肺に深く息を吸い込むことの喜びを感じている。
「新しい命を得ることができてびっくりしています。」とサンデー・メールに語った。

今年ロックハンプトンからブリスベンに引っ越してきた彼女は、臓器提供者待ちのリストに記載されて8ヶ月以上を過ごした。外出も出来ず、部屋から部屋へ歩いただけでも休息と酸素吸入が必要で、状態は大変悪く医者からは1年ともたないだろうと言われていた。

ケイトは術後の経過もよく、「咳も出ず息を切らすこともなしに2階に歩いて上がれることが嬉しい。毎日運動しています。今は歩いたりダンベルを持ち上げたりしていますが、もう少ししたら水泳やランニングやサイクリングも始めるつもりです。仕事も始めたいと思っていますから、来年には旅行に行けるだけの費用も貯金できるでしょう。先生は、灰色でべっとりとした粘液が詰まった私の古い肺を見せてくれました。今は完全に正常だと感じています。もう酸素を持ち歩く必要もありません。」と語る。

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彼女は生まれて11ヶ月のとき嚢胞性繊維症と診断され、3ヶ月ごとに約2週間を病院で過ぎすという生活を送ってきた。
ケイトは、仲介者を通じてドナーの家族に匿名の手紙を送って感謝を述べるつもりだという。(ドナーも受給者もお互いに名前を知らされない。)

「このことは私の生活を完全に変えました。これからは何でも出来るんですもの!」

オーストラリアは、臓器提供者の率が世界でも最も低い国の一つ。毎日、移植を待っている一人以上の人が亡くなっている。

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この記事を目にした後、たまたま、テレビで日本の臓器移植の実態を取り上げた番組を見た。
国内での臓器提供者が少なく、アメリカに渡って臓器移植を受ける人。費用は5千万から1億円を要する。そして最近、中国にそれを求める人が増えている。こちらは50万から百万。提供される臓器の多くは死刑囚のものだという。
インタビューに応じたある中国市民は、「中国にも臓器提供を待ち望む患者はたくさんいる。たとえ死刑囚の臓器とはいえ、外国の金持ちがそれを取り上げてしまうのは如何なものか。」と語っていた。

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雨の神様への祈り

昨日11月1日にレベル4の用水規制に突入したクイーンランド州南東部。
新規のダム建設などの政府の水資源対策に遅れが目立ち、住民の批判がますます高まっているが、クイーンズランド州ののリーダーたちは今日、遂に教会で雨の神に祈りを捧げ奇跡を願った。

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乾ききった大地に燦燦と太陽が照りつけるこの日、ブリスベンのセイント・ジョン大聖堂 St John’s Anglican Cathedral に集まった政治家やあらゆる宗派の教会の指導者たちは、「空が灰色の雲に覆われ大量の雨をもたらしますよう」にと祈った。
ピーター・ビーティ Peter Beattie クイーンズランド州首相は集まった人達に対し、ブリスベンのすべてのキリスト教会が11月5日から12日までの1週間を雨への祈りの日とすることを依頼し、「オーストラリアは記録的な干ばつにあえいでいる。クイーンズランドの人々はこれに耐えている人たちを支えるため団結しなければならない。」と語った。

そして、英国国教会のフィリップ・アスピナル Phillip Aspinall 大司教は、「人類は地球の資源を常に賢く公平に使ってきたとはいえない。考え方を変える必要がある。既に農村では何人かの人が自殺という手段に訴えてしまった。彼らの苦しみを感じ哀れみをもって応じるのが我々の責任である。」と応えた。

アスピナル大司教は集会の後、「ある人が、自殺者まで生んでしまった事態について、果たして我々の政策は農村地域に対して上手く働いているのか否か再評価して欲しいと書き送ってきた。」と語り、ブリスベン・カソリック教会のジョン・バサスビー John Bathersby 司教も、「私達は利己的になってしまっている。地球の資源は永遠に続くものと考えているが、それが間違っていることに気がつくべきだ。」と語った。

クイーンランド水資源局のエリザベス・ノスワージー Elizabeth Nosworthy 長官も雨乞いの祈りを捧げ、「雨が降るか否かは神の手に委ねられている。」と述べた。
野党党首のジェフ・シーニー Jeff Seeney 氏は、「クイーンズランドは政府の怠慢のせいでなんらの解決策も持たず、遂に神に助けを求めるしかなくなってしまった。政府はインフラ整備に失敗し、雨乞いを最後の手段に選んだ。希望を持って一緒に祈ろう。」と厳しい非難を込めて語った。

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